ネガティブ女は頑張らない

ネガティブで孤独なOLは頑張って頑張らずに生きたい

今なら悟れそう


まったくもって平穏な日々です。

朝9時に起きて誰かしら家族と朝食をとり、集中できないから特に成果の出てない勉強をし、誰かしら家族と12時に昼食をとり、勉強やらネットサーフィンやら少々の家事をし、18時に家族全員と夕食をとり、風呂に入ってゲームで少し夜更かしをして寝る。

これの繰り返し。

THE・平和。

仕事しなきゃーとか恋愛しなきゃーとか趣味見つけなきゃーとかの焦りも無いとは言えないものの、それらがちょっとどうでもよくなるくらいに気持ちが安定していて、気分が悪くなることがそんなに無い。


これこれ。私が求めていたのはこういうのだよ。


誰かがいつの間にかやってくれるから料理や洗濯はしなくていいし、自分の洗濯物は分けて洗ってるから自分でしなきゃいけないけど昔ほど量がないからたまにでいいし、自分がしゃべらなくても家族がやかましいから孤独感は無いし、久しぶりに娘と暮らせるからか両親がめちゃくちゃワガママ聞いてくれるし(野菜のおかずを増やせとか)、親の車で買い物に行けるから楽だし、無職を責めるような人は誰もいないし。

失業保険の説明会みたいなやつに2回参加する予定もブッコロナの影響でなくなったからラッキーだし、もう役所関係とか退職関係の手続きは終わったし、仕事探しはぼちぼちやってるけど今のところは幸か不幸か採用に至ったところはない。

自分では絶対買わなかった調味料とかお菓子とかもたくさんあるし、父親が元調理師だからレベルが高い料理+他人が作ったから余計においしい食事ができる。


かましいとか汚いとか細かい不満はいろいろあるけど、概ね満足してるので一人暮らし願望も薄れてきた。


絶賛安定期。
だから余計に就職したときの落差が怖いけど、その恐怖すらも考えずにいられるメンタルが本当に最強すぎて働きたくない。



現実から目を背け続けてはいられないけど、もうしばらくはこんな生活でもいいよな。



それにしても一日が過ぎるのってなんて早いんだろうか。
会社にいたときは悪い意味で「一日が早い…帰宅したらもう飯食って寝るしかできない…」って感じだったけど、今は「さっき朝食食べたと思ったらもう昼食か。白米のお供は何にしよう」って感覚だもんな。幸せ。


こんな気持ちで、こんな時間的ゆとりで、平和に穏やかに生活したいだけなのに、なんでそんなこともできない世の中なんだろうか…。

収入、仕事、人間関係、成長、比較、羨望、苦労、努力、失望、絶望…。

人生が幸せを追及するために生きるものだとすれば、私は今のこの生活だけでいいのかもしれない。
社会的地位とか、人間的成長とか、通帳の残高とか、幅広い人脈とか、世界進出とか、そんなものはいらない。知りたくない。関わりたくない。

健康で、お腹いっぱい食べられて、好きな時間に好きなことをして、日々慎ましく生きていられれば充分なのに…。

それっぽっちをするためになんで金が必要なんだろう。
なんでそのための金を稼ぐだけであんなに辛いことをしなきゃいけないんだろう。
なんで生きるための努力を比べられて優劣をつけられなきゃいけないんだろう。
なんですべてに苦労と努力がついて回るんだろう。
なんで生きるための決まりや指針を他人に作られなきゃいけないんだろう。


もちろん辛いことを乗り越えて得られる達成感や成長感は気持ちいいものだけど、いくつもの困難を経てまでそれらを得たいとは思わない人間だっているのに。

なんで意欲がないとダメなの?
なんで努力しないと負け組になるの?
なんで負け組は貧乏になるの?
誰がそんな世の中にしたの?

人間の性質だと言ってしまったらそれまでだけど、あまりにも一方的な考え方に疲弊する。



一刻も早くベーシックインカム導入してくれ。
会社や仕事はやりたい人だけやればいい。
本当に世のため人のため自分のためにしたいと思った人だけがやればいい。
人生が長すぎて仕事でもしないかぎりは退屈なんだろうなとは思うけど、だからって仕事を辛く感じたら人生が終われないもののように感じてさっさと終わらせたくなるのが人間ってものだろう。
自殺は悲しいし私は怖くてできないけど、したくなる人の気持ちは死ぬほどわかる。
終わりのないいじめ、終わりのない仕事、終わりのない苦痛。
対象や度合いが違うだけで、苦痛そのものは誰でも知っているはずなのに、なんでそんな一方的な世の中になっちゃってるんだろう。



経済と偏見なんて死ねばいい。
幸せだけを追及できる世の中になってくれることを切に願います。