ネガティブ女は頑張らない

ネガティブで孤独なOLは頑張って頑張らずに生きたい

欲望のままに


●女の子の手

若い女の子がこぞってやってくる安いアクセ屋に行ってきた。

さもソーシャルディスタンスなんて関係ないみたいな顔して隣人とゼロ距離で並んで一心不乱にアクセサリーを物色するのだけど、指輪を選んでるときの隣の女の子の手がめちゃくちゃキレイだった。

肌が白くてすべすべしてて無駄毛やシワとは無縁の若い手をしてて、ツヤツヤした朱色のジェルネイルと新しいアクセなんかいらんやんって思うくらいの可愛い指輪をしてて、なんかもう手だけでキラキラしたザ☆女の子だってわかった。
おばあちゃんの言葉を借りると「働いたことないって感じの手」をしていた。

一方私は、乾燥でカサカサ、肌は地黒だし寒さで指先が赤くなっててひどい色をしてたし、ネイルも指輪もしてなくて、節がゴツゴツしてて関節のシワも多くて、脱毛してるから無駄毛は無いものの毛穴の点々がうっすら黒く見えて、形も全体的に偏ってるというか短くて縮こまってるし、なんかほんとに醜い手だった。

ちょうど近くの指輪を物色してて手がすぐ隣に並んだから嫌でも比較してしまった。
手タレかってくらい本当にキレイな手だった…。


なんか手を見るだけでどれだけちゃんと女の子の生活を送ってるかの想像を繰り広げてしまった。
あんな手して汚部屋だったり一日一食インスタントラーメンだけとかの生活だって言うんなら、あまりの差に神様を殺しに行きたくなるわ。
絶対ジェラピケとか着て寝てるよあの子。
私みたいな無職で実家暮らしで家族が無理とか思うような生活とは真逆なんだろうな…。


あんな手に、あんな手を持てる人間になりたい…。






●フルタイムで働くこと

もうニートの生活がスタンダードになっちゃって、普通に会社員できる気がしない。

朝は時間に追われることなくゆっくりして、好きな時間にスマホいじったり勉強したり散歩したり、昨日は南へ今日は北へ明日は東へ明後日は西へランチ食べに行けるし、図書館の自習机に座れるし、何よりも気持ちがものっっっすごくフリー。
資格と投資と英語の勉強を並行でしちゃおうと思えるくらいの時間的かつ気持ち的な余裕に溢れてる。

仕事をするようになれば、朝7時に起きなきゃいけないし、化粧しなきゃだし、8時に家出なきゃだし、帰ってきたらすぐお風呂入ってごはん食べて2~3時間したらもう寝なきゃだし、興味あることをゆっくり調べる時間さえもなく、土日に向かって全速力で駆け抜けるだけのしんどい毎日になる。

仕事の日の朝8時は「もう8時だ…行かなきゃ…」って思うし、休みの土日の朝8時は「もっと寝たい…時間が足りない…」って思うけど、ニートの朝8時は「早起きできた!洗濯しよー!」って思えるもんなぁ…。


マジでなんで人間って8時間も10時間も働くのが普通なんだろう…。
日中に散歩したり縁もゆかりもない場所にランチ食べに行ったり図書館で本読んで一日を過ごしたり思い立ったときに日帰り旅行に行きたいとか思わないのかな…。
なんで一日の半分近くを嫌なことに費やしていられるんだろう…。

そして自分も遠からずそうならないといけない未来がやってくる…。
怖い…怖いよぉぉぉぉ…。

マジで投資で生きていきたい…。
せめてテレワーク…。
働きたくない…。
仕事も人間も時間も怖い…。






姥捨山


おばあちゃんを。
どこかに捨ててきたいと思うことがよくある。


昔話とかで姥捨山って聞くくらいだから、昔から老人を厄介だと思ってたのかなぁと気になったので、軽くWikiってみた。

するとまぁ物語の前半は、年老いて働けなくなった老人を捨てるとかそんな始まりなんだけど、
後半は『老人の経験や知恵が人の役に立った』とか『捨てた側が自分の年老いたときのことを考えて姥捨てをやめる』とか『老人の子供が親との別れを惜しんで連れて帰った』とか、そんな終わり方らしい。


確かにまぁわかるけど、知恵もヘチマもないレベルにボケた老人はどうするんだ、と思った。
昔は認知症になる前に死んでたからだろうか。
今の姥捨山こそ介護施設とかそんなので、姥捨てしたいと思った人たちは老人を介護施設にぶち込んでさっぱりできたんだろうか。


最近はもうすっかり介護への前向きな姿勢がなくなってしまった。
喧嘩や誤解の仲裁をしようと思わないし、懇切丁寧に茶碗の場所を教えることもやめた。
どうせ忘れられるし、疲れるから。
なんで前はあんなに責任感っていうか余裕を持ててたんだろ。


前にも増してボケがひどくなってきたような気がする。
ほんの少し前は20個くらい話のネタがあったような気がするけど、ここ一ヶ月くらいはマジで5個くらいの話を永遠にループしてる。

自分の故郷の話か、嫁ぎ先(おじいちゃんの実家)がひどかった話か、結婚後の生活が大変だった話か、自分は誰かに慕われてるとか名家の血筋だとかっていう自慢話か、知り合いや親戚をバカにしたり悪者にする話か。

考え方がガチガチで全て自分が正しくてプライドと傲慢で構成されてるような人なので、戦時中の人間だから古い考え方だということを差し引いても、人間的に本当に嫌い。
認知症のせいでこうなってしまったのか元々こういう人なのか本当に知らないけど、昔から嫌いだったなぁ。
嫌いなのであまり顔を出さなかったから、会う度に嫌みったらしく「久しぶり~誰かと思ったわ~」と言われてたなぁ。
それが嫌でさらに行くのが憂鬱になってたなぁ。
そんな人と住んでるとは。すごいね。


山奥のバカ広い家で生まれてのびのび育った過去の栄光のことを懐かしがってばっかりで、大阪に嫁いできてからの良い思い出とか他人に感謝する話は全くしない。
果ては近所の友達や自分の夫や息子さえも悪く言うので、なんか、本当に可哀想な人だと思う。


幼少期から茶道や華道を習っていたから行儀には詳しいと言ってるけど、テーブルにこぼれたスープをテーブルに口をつけて啜るし、食事で汚れた口を拭った手をズボンで拭くからズボンの一部が常に茶色っぽく汚れてるし、床に落ちた汁をスリッパでゴシゴシ拭いて済ませるし、えらい高尚なお行儀を習ったんだなと感心する。
と同時に、潔癖症の私はものすごい嫌悪感を抱く。



関わってるとほんと嫌いなところしか見えてこなくて、私ほどじゃないけど他の家族も多分そう思ってて、でも同居してくれる家族がいる彼女に対して、可哀想だけど幸せな人だなと思う。
知らぬが仏とはよく言ったものだわ。



いつもとは違うところにおばあちゃんの使用済みの私物が置いてあったのでそれをどうするかの話をしたとき「ボケてるから一つ狂ったら全部狂うねん」と言っていた。
自分がボケてて普段とは違う行動をしたことを認知できてはいるのか、と思ったけど、それさえもわからなくなる日が来るんだろうな。


ほんと申し訳ないけど、さっさとどうにかなってほしいなぁ。