ネガティブ女は頑張らない

ネガティブで孤独なOLは頑張って頑張らずに生きたい

続:20代。介護を考える。

先日、伯父夫妻と私の両親とが介護についてモメた時期が数年前にあったことが発覚した。


ちょうど私が一人暮らしをしていた真っ只中の話だったらしく、実家に顔を出したときもなんとなく介護で疲れているような話はチラッと聞いていただけなので、まさかそんなベタベタな介護問題(介護のせいで家族仲にヒビが入ること)に苦しめられていたとは…。
母がやられたのもこの件が原因らしい。


伯父夫妻が必ずメールでエビデンス残しましょうという人々だったので、過去の衝突のあらすじを知るために、わざわざ親の携帯からメールデータを一気にパソコンに移して全部チェックした。
作業は面倒だったけど助かった。



するとまぁ、理想の生活を実現しようと理詰めする高学歴伯父夫妻と、祖母の意見を最優先しようとしてなかなか行動に踏み出せない低学歴両親とで、清々しいほど話のすれ違いや認識の食い違いをしている様がどんどんどんどん飛び込んでくる。

正直、過去のことなのに、めちゃくちゃ動悸がした。

お互いがお互いのレベルについていけてなくて、そこに認知症のおばあちゃんの問題が次々重なっていって、時間や選択肢の少なさ、そして何よりみんなの人の変わりように驚愕するばかり。



なんだかなって思うわ。マジで。



現状でいうと伯父夫妻とは絶縁状態というか、前みたいにいろいろ助け合おうとする精神はお互いになくなっているみたい。

いろんな専門知識を持っている人たちだし、面倒な手続きとかの調査や助言を進んでしてくるような人たちなので、正直いうと協力してくれなくなるのはまぁまぁ困る。


今は症状もそんなに重くないけど、それこそもっと悪化したとき、もっともっと考えるべきことや複雑な事情がいくらでも湧いて出てくるに違いない。

現に、数年前の伯父からのメールに「認知症患者と生活するのは難しい」「いつか不和が生じて立ち行かなくなる」なんてことが書いてあったので、今のところはズバリ当たってるわけだ。
そのあとに書いてあった「最終的には暴行やネグレクトに繋がる可能性もなくはないし、不安です」という内容もあったので、なかなかに震撼してる。



正直、言っている理論としては伯父夫妻が全面的に正しい。

ただ、実際に介護をしている私の両親しかわからない現状、そして祖母を納得させるのがいかに困難かという点が、わかっているのかいないのか…。

薬を飲んでくれないこと、病院に行ってくれないこと、施設になんてもちろん入ってくれないこと、認知症患者の特徴(怒りや不安や猜疑心)を自覚できないこと、耳が不自由で意思の疎通がしにくいこと、体が動かしにくくて物忘れすることに本人もとまどっていること。



その他にもまだたくさんある問題もすべてまとめて「施設に入所させる」ということで一旦解決できると思っている節があるので、それに向けた提案のメールがいくつも残っていた。

正直、私もそう思う。
ただ、それが一番の難関だから困っているわけで。

おばあちゃんは絶対に施設になんて入らない。
年寄りばかりの退屈で制約の多い人生の墓場、なんなら姥捨山だと思っているからだ。


それをどうやって入所させるというのか。
言って聞かせることが可能だと思っているのか。
本人の「自宅にいたい。施設に入るくらいなら自殺する」という思いと、それをなんとか叶えようと(死なせまいと)してる私の両親の行動は、考慮しているのかいないのか。
そういう観点でのメールがほぼ無かったことに、また介護の難しさを垣間見る。


デイサービスを週2から3に増やすだけでも抵抗を示す祖母に、いったいどうやって施設に入所させる理由をつけるんだろう。
どうせならそのへんまで具体的に考えて、伯父夫妻によって実際に試したときの過程と結果をメールしておいて欲しかった。

私の両親のやり方に手を出すと悪いから、とかそんな逃げの言い訳はいらないからさ。
口ではなんとでも言えるから、自分らでさっさと行動に移してみろよ。って思うわ。



これが介護の難しいところ。

考えはできるけど実践はできない。
人には言えるけど自分にはできない。
正しいことなのに正しくない。
目的は一緒なのに道筋は一緒じゃない。
仲良いのに仲良くない。
思っているのに伝わらない。
離れたいのに離れられない。

これが介護する側とされる側だけの話ならまだいい。
介護する側とする側の話だからややこしくなる。

痴呆の年寄りが捏ねる屁理屈と、変に頭のいい健常者が言う屁理屈とで、殺意の種類がこんなにも変わるもんなんだなぁ。



なんか、介護ってさ。
「老人の下の世話ができるか」「施設に空きがあってちゃんと入所できるか」くらいの苦労かと思ってたけど、全然違うんだね。

正解の道筋がハッキリと見えているだけに、そのとおりに進めないイライラがなんとももどかしい。

こういう気持ちの度合いがどんどん強くなって、イライラやもどかしさが増して、切羽詰まって逃げ場がないような錯覚に陥って、思い込みが先行して、他人を攻撃したり自分を責めたりするんだ。

それの顕著な例が、今回書いたこの件だったり、施設内での暴行や殺害だったりするんだろうな。




てかまぁそんな面倒な思考を回り道しなくても、普通に痴呆は憎いし口だけの親戚はむかつくしね。

一人で寝たきり老人の介護をしてる人もいるそうだけど、考えただけでもゾッとする。
面倒な親戚がいないぶん楽かなとは思ったけど、味方も敵もいないから自分と相手だけなんだよな。
社会的問題になるのも頷けるわけだ。





なんかさー。
「おやすみ、プンプン」とかの鬱漫画を読んで、最高に鬱になって最悪に落ち込んだ気分を味わうあの感覚がわりと好きだったんだけどさ。

漫画要らずだわ、こりゃ。

てか漫画なんか比較にならないほどのレベルだわ。

漫画で味わう気分とはまた違った質の、そしてさらに最低最悪な気分だ。

まぁ漫画はせいぜい二十巻もあれば終わりを迎えられるし、最後に一筋の光~みたいなんもあるけどさ。

現実の介護はそうじゃないもんね。

これから何十年続くかわからないし、事態は好転することなく悪化の一途を辿るだけ。

もしくは、怪我したのを理由にそのまま施設に入るとか、痴呆が進行して施設入所に抵抗されなくなることを好転と言えるのかもしれない。

金はいるし工夫もいるし体力もいるし、相手の尊厳も自分の未来も守らなきゃいけない。
自分と相手の命がかかっているから、全部に手を抜けない。



悲惨だわ。こりゃ。




まぁ未来を憂いてばかりじゃどうしようもないからさ。
時間はまだもう少しあるし、できることからやるよ。

なんとか伯父夫妻との関係も修復できたらいいけどな。








こういうときだけ変にポジティブに頑張ろうとする自分がよくわからん。

お人好し。器用貧乏。八方美人。貧乏くじ。




死ねよ。