ネガティブ女は頑張らない

ネガティブで孤独なOLは頑張って頑張らずに生きたい

いろいろ愚痴+α

認知症


うちのおばあちゃんが認知症なんですよ。

おじいちゃんが十数年前にぽっくり死んでからずっと一人暮らししてきたけど、いい加減ボケたり手足が痛いとかで、家族みんなで一緒に暮らすことになったんですよね。

まぁボケといっても「今日のごはんはまだかね?」「おばあちゃんもう食べましたよ」とかのレベルではなく、
「お昼何食べたか全然覚えてないわ~」くらいのレベルなので、深夜徘徊したりお店で金払わずに物持ってきたりとかは皆無なんです。

が、やっぱり家族と一緒に住むことによって、物の配置が変わったり、他人と生活のリズムを合わせる必要がでてくると、それなりにパニックになるみたいで。

「コップの位置が変わったから水を飲まない」
「お風呂がキレイに掃除されすぎてて自分の家じゃないみたいで入るのを遠慮する」
「洗濯カゴに洗濯物を入れていいかわからないので自分の分は自分で洗う」
「洗面所のタオルを使っていいかわからないので顔が濡れたまま自室にあるタオルで拭きにいく」

みたいな感じなんですよ。
こっちからしたら「風呂がキレイになって入りにくいって何?リフォームしたわけでもあるまいし」って思って全く理解できないんですけど、それでもまぁ「お年寄り(もとい認知症)はこうなのかなぁ」と思って受け入れるしかないんですよね。

で、そこまではまぁ自分の飲み込み次第なんでどっちでもいいんですけど、
そのおばあちゃんの認知症による言動のため、うちの両親、つまりおばあちゃんの息子とその嫁が、けっこう振り回されてるんです。

父親がおばあちゃんのボケ具合にいちいち反応したりツッコんだりするんですよ。
それにおばあちゃんが気分悪くしてそれを見てさらに父親が「なんやねん!俺の言うこと間違ってるか!?」みたいになって、2階にいても聞こえるくらいのボリュームで言い合ってるんですよね。しかもほぼ毎日。

そしてそれを聞いた母親が、父親に対して「あんな言い方しても仕方ないやろ!」って責めるんです。
それに対して父親も言い返すんで、もともと関係なかった母親まで気分を害する結果になるんですよね。

結局、おばあちゃんの認知症を発端として、もともと仲が悪かった家族にさらに言い合いが増えたんですよ。
まぁ私も家族と住むのが5年ぶりくらいなので言い合いが増えたどうかは分かりませんが。
ただ本当に言えることは、毎日大なり小なり何かしらの言い合いをしてることです。


私はなんとなく「認知症の人にはこういう対応をしたらいいんだろうな」っていうのが感覚的にわかるんですよ。
もちろん孫という立場によってだいぶ関係がマイルドになってる面もあるとは思います。
私が常日頃から物腰穏やかに接している実績も関係するでしょう。

でも、元気で正常な頃を見てきた息子である父親に関しては、おばあちゃんの変化っていうのは、悲しかったりやるせなかったりするんだろう、とも思うんです。
単純にボケた言動されてイライラするのもあると思いますが。

だから、私はお互いの気持ちがわかる気がするんです。

ボケてきた自覚や体の衰えもあって自分に戸惑っていて、無自覚なボケの部分を責められて混乱して自暴自棄になって、すぐ怒鳴る実の息子に少し警戒心を持つおばあちゃん。

大好きな母親がボケていく姿を見せつけられて、とんちんかんなことを言われて、息子の言うことをちっとも聞いてくれない母親に怒る父親。

二人の負の力に影響される母親。


いまの家族の状態と個人の考え方の特徴を俯瞰して見れているのはおそらく私だけなので、怒鳴り合う声で目を覚ますことがなくなるよう、そろそろテコ入れしないといけないのかもしれません。

個人が気付いていない個人の考え方のクセ、私が実践している認知症への関わり方、無駄なことでケンカしないよう穏便に済ませる考え方。
私が思う方法を伝えて、あわよくば実践してもらえたら、何かが変えられるのかもしれません。

ここでポイントなのが「あくまでも私はみなさんの味方です。言動を強要するつもりはありません。事態の解決をしたいだけなのです。私個人の考え方はこうですが、みなさんの考え方はどうですか。」という姿勢を示し続けることです。

まずは自分が解決したいこと・自分の考え方・自分のやり方を真摯に伝え、
そして相手にも、思っていること・話したいことを話してもらう。
その意見に対して、解決策や折衷案を投げ掛ける。
あくまでも相手の意見を否定しないように「それも一理あるね。でももしかしたらこうだとは思わない?」というふうに、一度は理解する姿勢を見せたうえで正しいベクトルに誘導する。

なぜいい歳した大人にこんなことをしなくてはいけないのかという自分の子供心の葛藤はありますが、怒鳴り声で朝起こされるのを避けるため、またHSPの気がある『怒鳴り声を聞くと自分が怒られている気になってドギマギしてしまう』というストレスの解消のため、タイミングがあれば対話の機会を設けてみようと思います。


結果、認知症とか介護とかって、世話されている本人だけでなく、周囲の人にも大変な試練を課す重要な問題だなぁと思いました。

少子高齢化とか老々介護とか…うちよりももっと大変な思いをしてる介護者もいるし…将来が不安です。
うちの両親がボケたらすぐ施設にブチ込めるように、なるべくお金をたくさん稼いでおきたいと思います。





ていうか、私マジでカウンセラーが向いてるんじゃないのかって思うわ。






【母親】

私は母親が嫌いです。

もちろん親なので、心の深いところには愛情というか情けらしきものはあります。

ですが、もし母親がクラスメイトだったら、会社の上司や部下だったら、行きつけのスーパーの店員さんだったら、
「うわぁなんだこいつ、なんかムカつくな」
と思い、決して仲良くしようとはしないでしょう。

とにかく人として全く合いませんし、尊敬もできませんし、理解もできません。
「こういう人なんだろうな」と受け入れはしますが、関わりを絶てるなら絶ちたいと思っています。


何がそんなに嫌かというと。

とにかく自己卑下が大の得意。
「ほんま自分どんくさいから嫌になるわ~」「私ほんま馬鹿やろ~?ごめんね」「あかん人間やから仕方ないわ」
など、軽く笑い飛ばした言い方ならいいものの、マイナスオーラを出したまま取り繕うように焦って笑います。

どんくさいのは事実だし、ネガティブになるのもまぁまだ我慢できますが、それを理由にして「できない自分を正当化」しようとしているのです。

もう書いてて腹が立ってくるので事例は書きませんが、とにかく自分はダメだという言葉を盾にして、改善する気など端から全く無く、他人から傷つけられたり責め立てられる前に逃げるのです。

無駄なストレスを避ける賢いやり方とも言えるかもしれませんが、本当に良くないことを注意しようとしても何も通じません。耳では聞いているものの脳では聞いていないからです。

私が幼少の頃からこんな具合なので、私も母親に変化や改善を求めることは諦めました。
求めても回答がないので、自分の無力さを痛感するし、母は私の声を聞いてくれないんだという信頼感の低下につながるからです。
心からの純粋な願いを聞き入れてもらえないときの子供心って、いったいどれだけ傷つくのでしょうか。

もう今では母に何も期待しません。
自分が悲しくなるからです。



それに、とってもヒステリックだし、根に持つタイプです。
嫌なことをされたり言われると感情的になって怒り、相手が責めるような言い方をしなくても過大にとらえて「どうせ私はダメですよ」と言って幼稚園児のように口を尖らせて拗ねます。
ケンカに関係ない第三者にまでその態度を引きずったまま対応するので、第三者が気を遣って親切にしたりフォローしたりしますが、態度を軟化させることはありません。
むしろ「別に気を遣ってくれなくても私がダメなことに変わりはないし」というふうに余計に機嫌を損ねることになります。
そして数日経ったあと、なにかの小競り合いの折りに「どうせ私はダメだし」と前のケンカのセリフを持ち出します。

まさにガキそのものです。
還暦前が聞いて呆れます。
こうなると距離をとって放置するしかできませんが、こちらもまた無力感を感じることになるし、母のこんな幼稚な一面を見て私はまた悲しくなります。




もちろん嫌いな理由はそれだけではありません。
デブだし、すぐ弱音を吐くし、30年近く専業主婦なのに家事の手際は悪いし、衛生観念はないし、時間にもルーズだし、学は無いし、外ヅラ良いフリしてるけど中身はダメダメだし、父親(夫)に力仕事とか料理とかたくさん任せてるくせに礼もなく文句ばっかり言うし、父親にすぐケンカ腰で突っかかるし、世間知らずの夢見がちだし、頭悪いし。


でも、やはり一番の理由は、悲しくさせられることなのです。


昔から私なりに愛を持って、そして期待を込めて、改善の提案や要望をしてきました。
それに対して「わかった、頑張るね」と返事をしてくれますが、変わることはついぞありませんでした。

そのことを指摘しても「そうだね、ごめんね、お母さんはダメな人間だから」と言われるばかりで、それを聞いた私は最終的になぜか自分を責めました。
「私がこんなこと言わなければよかったんだ」とか「私は無力で何もできなかった」とかなんとか。

いまの私なら「他人は変えられない。まして母は自覚しようが指摘されようが自分を変えられる人でもない」ということを知っていますが、
そのときは小さく何も知らない年齢だったので、期待して裏切られて自分に責任を感じるというサイクルで少しずつ傷ついていったのです。

漫画やドラマでよく見る「私が悪い子だから(家出した)ママが帰って来ないの?」みたいなやつです。

それに加え、昔から父親と母親はケンカをしてばかりだったこともあり、幼少期に負ってはいけない傷をたくさん負ったせいもあるでしょう。

私は父親とはいろいろあって干支ほど会話をしなかった期間があるため、嫌いの度合いもそれほどではありませんが、母親については関われば関わる分だけ嫌いになっていきました。
母親だけを嫌いになれれば良かったですが、同じ分だけ自分も嫌いになりました。


だから母親を嫌いなのです。
関われば同じだけ自分のことを嫌いになるし、同じだけ悲しくなるから。



死は救済だという考えもこれに起因しているでしょう。
子供は欲しくないという考えも。
デキ婚するやつは皆一様に馬鹿だという考えも。







【無職】

暇だ。
やることがない。

勉強はぼちぼちやってる。
散歩とかはしてない。暑いし、日焼け止め塗るとかの準備が面倒だし、汗かいて不快になりにくい服も持ってないから。
家の掃除もだいたい終わった。
このご時世なので遊びにも行けない。
ていうかもともとインドアだし遊びに行きたいところもない。

就職するのはまだ怖い。
ていうか将来的に食いっぱぐれずそれなりの休みがあってそれなりの給料があって社内恋愛で結婚にありつけそうな職がない。
ていうか何がしたいとか皆無。
ただひたすらに働きたくない。



でもやることがない。
一日も一週間も早いけど長い。









【ぶろぐのかのじょ】

例のブログの件、彼女が20代のときの記事も読んだけど、若くなるほど内容が面白くない。

誤字だらけだしオタクな内容が多いし、今の私と同じように吐き散らしてるだけ。
なので途中でやめた。
30代になってからの物事の捉え方とか理路整然とした読書感想文とかが魅力的すぎて、同一人物なのに差がものすごい。

成長ってすごいな。
30代になって落ち着いた今や、婚活とか仕事とかに関してはちょっと年齢関連の哀愁がすごいけど、本を読んだ感想とか哲学的な考え方とかの表現が面白い。
10年の時の大きさを感じる。

全く似てないところもあるのに、全く同じところもあって、なんだかアイドルに恋してるヲトメの気分になってる。
勝手に共通点探して勝手に理想つくって勝手に好意持ってるみたいな。ちょっと違うか。
でもなんか私この人と同じような道を辿るんだろうなーって気がビシビシしてる。

ただ、この人には必死に培った仕事の能力があるけど、私にはない。
友好関係も広くて努力家な人なんだろうけど、私は友達いないし引きこもりだし。
同じような人生歩みそうなものの私はいかんせん持ってるものが少なすぎるので、この人のようなゆとりはないだろう。
そこは自覚していかないと。


今の私くらいの年齢から婚活されてらっしゃったみたいなので、私も就職したら婚活も頑張ろう。
DINKS希望だから的は絞りやすいし。

ただDINKS希望って家族に言ってないから、孫の顔を見れないって親は悲しむだろうなぁ…。
気にしないって言うだろうし、私も気にしないけど、やっぱり気にするわ…。





【ちゅうかじんみんがっしゅうこく】

やふーにゅーすの記事で、中国のとある電子機器メーカーはなぜ人気か、みたいなのを読んだ。

主にモバイルバッテリーで知られる企業なんだけど、確かに私も名前は聞いたことあるし、値段は安めなのに品質は悪くないイメージがある。

案の定コメントでも肯定的な意見が多かったし、何年も使ってるけど快適だとかカスタマーセンターが神対応だとか、いい反応がほとんどだった。

そしてコメントの中に、
「高品質だし顧客対応が良いという理由で少々高くても国産の製品を選んできたけど、安い中国産が高品質で対応も良くなってきたら、国内メーカーはどうなるんだろう」
という意見があった。


確かにそうだ。

国産は高品質だし対応も悪くないし、価格は少し高いぶん安心みたいな意識があった。

でもそれは、低価格なのに高品質で安心、という常識がなかったからだ。

常識は時代によって変化するし、新しく生まれもする。
日本はとりわけ常識の変化に弱い。
根拠のない常識を常識だと思い続けて譲らない国民性がある。
何の特にもならない国民性。

それに、低価格なぶん低品質だからって足元見てたのは日本のほうだ。
資金も人材もある中国が高品質なものを出すのなんて時間の問題だっただろう。



今や中国は日本の土地のみならず仕事や海域までもを占領していく。
それは一見悪いことのように語られることが多いけど、弱肉強食の構図を拡大しただけだと思う。
人間が飼っている家畜を殺して食うのと同じ。
歴史上のナントカ戦争と同じ。
違うのは、何かを獲得するための手段が戦争や暴力じゃなくなったことだけ。


遠くない未来、本当に日本は中国の一部になってると思う。
物理的か経済的かはわからないけど、いつか日本という名前は消され、中国国民のためのリゾート施設だか、工場専用列島だか、漁業の中継地だか、そんなのになってる気がする。


悲しいし不安だけど別に悪いことじゃないと思う。
日本がなくなるとか平和の均衡がくずれるみたいなことを言われてるけど、価値あるものが消失することなんて大なり小なりいつでもどこでも起きてる。

人が死んだり、ボケて昔を忘れたり、思い出の品が壊れてしまったり、人的ミスで歴史的建造物が全焼してしまったり、そういうことだ。
死ぬほど起きてる、苦しいし悲しいけどいつかは乗り越えられる、そんなことと同じこと。

安全な家があってちゃんと食って寝て仲良くできる人と仲良くできていれば、どこの国だろうと関係ない。
この瞬間にどこで何が起きようと仕方のないことだし、いいことも嫌なことも関係なく過去のこととしていつか文献になるだけ。



と、私は思う。
けど、そう思わない人もいると思うので、そういう人にとってはここが正念場だと思う。

これからどんどん日本は負けていく。
それに気付いて向き合って勝てるように抵抗する必要がある。
当然個人ではできないことだ。
偉ぶってる人たちの許可が必要だし、作戦を立てる頭のいい人が必要だし、情報収集できる鋭敏な人が必要だし、ユーモアのある外交上手な人が必要だし、専門知識を持つ博学な人が必要だし、正義感と信念を持つ揺るぎないリーダーも必要だ。







つまりどういうことかというと。







日本はもう無理ってこと。